Fuck山口の勝つには打たねば Vol.56 【雑談ブログ】「スロットと私~出会い編~」
こんちゃす( ◜ᴗ◝)
本日は少し雑談を…
私がスロットと出会ったのは実は20歳で、自分の周りの間では一番遅かったんですよね(笑)
周りは18歳から少額のお金を握りしめパチンコ屋さんに駆け込んでく中、私だけは「いや、俺はいいよ。お金勿体ないやん。」みたいな感じで少年時代のパチスロライフを避けていました。
その当時から運否天賦は嫌いでギャンブルというものはトータルでは必ず負けるものとしか捉えてなかったのが今のスタイルに繋がってるのかもしれません(^^;
この部分は今も同じで、自分の中で読めない賭け事=ギャンブルはやりませんし、嫌いとまでも思える程です(笑)
専業と言われる界隈の中でも珍しい部類になるんですが、趣味打ち時代の経験がほぼ無いタイプの人間なんですね。
そんな私がスロットと出会ったのが先輩からの誘い。。。
初めは台の指定をされて、「この台打ってごらん」といった形で自分の意志とは関係なく打ってたんです。
それが設定狙いでした。
その先輩はスロット大好き人間でして、私に色々と話してくれ超初歩的な基本は、そこで身についたのかな?と思います( ◜ᴗ◝)
実際、もう16~17年も前の話になっちゃうので記憶も断片的ですが、指定台だけでトータルではそこそこ勝ってたと思います。
その時に、あれ?スロットって永遠に勝ち続ける人って居るんだ∑(ºωº`*)
今まで無縁でフワッとしか聞いていなく、頭の片隅にしかなかった「パチプロ」ってワードが鮮明に見えた瞬間でしたね。
それから私はスロットに興味を持ったのではなく、パチプロという存在に興味を持ったのです。
常勝できるのであれば、やりたい!
スロットで生活できるんだったら楽じゃん!
若干二十歳の小僧の考えなんてそんなもんですよね(笑)
あと、時代が良かったってのも大きいです。
当時は4号機真っ只中。
そう、ストック機の全盛期です(^-^)
パチンコ屋さんは、どの店に行ってもお客さんで賑わっていましたし、小規模店舗であってもイベントとなれば100人以上並ぶのは当たり前でしたね(笑)
そして何より多かったのが「自称パチプロ」と言ってる人達(笑)
まぁ、私も後にその中に入る事となるんですが…(^^;
通ってたのは地元のホールで、住み着いていたと言っても良いくらいに滞在していました。
行けばとりあえず仲間がいる←みたいな、同世代の間では溜まり場に近い感覚でした。
今でもその店舗に行くのですが、当時の店員も2人ほど居るんですよね(笑)
1人は管理職になっちゃってますからホールで話す事はないですが。
そんなストック機の時代に登場したのが第1次ハイエナブーム。
今みたいに誰もが手をつけているほどのブームではなかったかのように思いますが、もちろん乗っかりましたね(笑)
主流はやはりパルサーシリーズ。私の乗っかりは少し遅れてキングパルサーからパルサーエースへ移行する頃だったと記憶してます。
もちろんキングパルサーも打ちましたけど、一番打っていたのがエースです。
まぁ機種名を言っても私と近い世代から、その上の人にしか分からないとは思いますが、低設定であってもストックさえ余っていれば初当たりを取ると結構な割合でストックが放出されるみたいな感じでした。
ハイエナとしては単純で総回転数からボーナスを差し引きし、まだ結構ストックありそうだな?って思える台をボーダーを下げて打つみたいな感じでしたね。
他にもゲーム数も狙えたので天井狙い以外にも規定ゲーム数、128.256.512のようなゾーンを狙えたりと。。。
ハイエナの出来ない時間帯でもそこら中に自称パチプロ(無職)が居たので、仲間内でワイワイしたり、時間を弄ぶ事は殆どなかったように覚えてます。
今となってはカオスですけど、同じホールで活動する自称パチプロが集まって(10~20人)月に1回の食事会なんてものまで開催してた始末です(笑)
でもそんな事も含めて楽しい時代だったんですよね(^-^;
昔語りは老害みたいになりますけど、今と比較してどうこうとか言うつもりではなく、こんな時代があったんだよっていうのを話すと、当時の自分を思い出せて楽しい気分になれるんです(笑)
今ではクリーンなイメージのパチンコ店ですが、当時は結構グレーな雰囲気を持った娯楽場で、トラブルも絶えないし、若輩者が風切って歩けるような場所じゃなかったんですけど、そう言った話もまたしたいなと思います。
今回はこの辺までにし、また機会があれば続きを書いてみようかなと思います。
スロットと私~出会い編~ [完]
つづく…