兼業スロッター「ケンヤ」の回胴道楽紀行 Vol.22 『深く心に刻み込んでおきたい事!!(前編)』
愛媛在住の兼業スロッター「ケンヤ」がリアルな近況や立ち回りをお伝えする連載ブログ「回胴道楽紀行〜つれづれなるままに〜」
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【兼業スロッター「ケンヤ」Profile】
2019.8.20《 Vol.22近況報告 》
【週間報告】
お盆の影響だからでしょう
設定状況がよろしくなかった為に、ハイエナメインで立ち回りました。
か~なりホールをウロウロしまくりました!!
《深く心に刻み込んでおきたい事!!(前編)》
8月15日は終戦記念日でありました。
今月、自分は過去に2度訪れた事があるけど
何度も行きたくなるスポットへと足を運びました。
その場所は鹿児島県知覧町。
ここは太平洋戦争末期に、米軍が沖縄を攻撃していた時に
それに立ち向かう為に特攻隊の基地が置かれた悲劇の町です。
しかし、『薩摩の小京都』と呼ばれる程に、美しく
時間がゆったりと流れている感じもする素敵な所です。
本土で最も沖縄に近いのは鹿児島県だから
ここから特攻隊が沖縄に向かって出撃したという訳です。
『特攻隊』は皆さん、御存じかと思いますが、軽く説明を。
自分の操縦する飛行機に爆弾を抱き
飛行機もろとも敵の戦艦に突入する必死の戦法なのであります。
初の特攻隊員は何と
愛媛県西条市出身の関 行男さんであります。
この方は超優秀なパイロットでありました☆
なぜ、国はそんな方を必死の作戦の第1号に選んだのか!?
それは、最初に特攻する者が確実な戦果を残さねば
後に続く者の士気が下がるからでした。
腕に自信のある彼は「行ってくれ!!」と指揮官に言われて
「こんな優秀な自分を行かせるだなんて、日本はもう終わりだ!!」
と言い残して、飛び立ったらしいです。
彼の没地はフィリピンでした。
彼が敵艦に突入して散華された10月25日には
毎年、西条市の上空で、彼の魂を慰める為に、自衛隊による航空機のショーがあります。
『知覧特攻平和会館』には広島の原爆記念館の様に
数々の遺影・品を展示しています。
初めて訪れたのは、もう15年程前ですが、何度も行きたくなるのです!!
特攻隊に多大な興味を持ち、それにまつわる映画・書物に
手当たり次第に目を通していた自分に影響された親友の
W君と同行する事になりました。
夜中に高速を交代で運転し、朝日を浴びる頃に鹿児島県に入りました。
いや~、地図で見たら近そうなのに、遠い道のりでございました!!
着くや否や、早速、メインの『知覧特攻平和会館』を訪れ
様々な展示品を見て回ったのです。
やはり、何度見ても目頭がアツくなり、涙が出てきました。
W君はしゃくり上げながら号泣していました!!
本当に広く深く
色々と考えさせられるパワースポットだと改めて実感しました!!
壮絶な想いを込め、祖国や家族を守る為に
決死の覚悟で死出の旅に出た彼らに、恥ずかしくない様に
しっかりと生き抜かないといけない!!
自分、このままではダメだ!! って今回も強く思わされたのでありました!!
彼らのほとんどは、まだ二十歳にもならない若者ばかりでした。
この飛行機は沖縄にたどり着く前に敵に打ち落とされ
海中から引き上げられたものです。
頭の切れる人が多かった日本の飛行機性能は抜群だったが
物資は乏しかったゆえに、ブリキのオモチャにすら見えてしまいます。
特攻隊員は知覧を飛び立つと
鹿児島県の最南端にそびえ立つ『開聞岳』を
本土との最期の別れだと、ある者はこの山に敬礼し
又、ある者は自分の愛機で山頂付近をグルリと旋回し
沖縄へと向かったと言います。
彼らが最期に見た景色を自分も見てみたいと思い
今回は山岳マニア・W君にエスコートしてもらい、山頂を目指してきました。
最近、超運動不足な自分は果たして山頂までたどり着けた事か!?
この模様は後編でお伝えしたいと思います。
ミリオンジャック連載8年目突入!
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